2012/01

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ロッテルダムを発ちます。

午前中少し時間がまだ残っているけれど
映画を観るほどもないので
少し散策してから帰ります。
わりと近くにアートスペースがあったし。

随分沢山映画を観たし
映画や他のフェスティバルのディレクターにも会えました。
もう少し居たいと言うのが実際の所です。
今晩は、ディレクターの食事会もあるし。。残念。。。過ぎます。




ロッテルダムに居る時も
突然寄せる心の乱れに襲われつつ
僕はこうしている時にあるものを失い
別のものを引き換えに得ているのだと思う。
このことはもはや引き返せないものなのだろうとも思うし
それで良いんだと思う。

こんなに遠くに来てみても
日常は同じように訪れるものです。


ロッテルダムに来ています。
あれよあれよと準備に追われつつ風邪を引いていたので
まだ東京にいるような感覚で1日が終わろうとしています。

ただ、町中を当ても無く(実は晩ご飯をさがして)歩いていると
至る所に映画祭のフラッグが大きく飾られていて
この為に来たのだと、微かな実感と当事者意識の無い大きな乖離を胸に抱いてます。
因に、写真はロッテルダムじゃなくてアムステルダムの空港の外。
長い飛行機に外の空気が吸いたくて
一瞬出てしまいました。
この時はそれほど寒くはなかったのだけれど
午後6時を過ぎると急に冷え込んできます。

明日はオープニングなので、気合いを入れなおそう!!!


すれ違い続けていると
それまで大切だった事から
距離が生まれはじめている事に気が付く。
この事に対して
僕にできる事と来たら、多くて半分、大抵は無いに等しい。

どうでも良くはないけれど
この先に、もうどうでも良くなってしまうような気がして
思い出しても痛みすら感じなくなる気がして
恐ろしくなる。

だから今日は一つの決め事をした。


年がはじまると言うのは
それだけで案外救われるものと言うか
引き続き考えなければ行けない事もあるし
行動していく事もあるけれど
1年と言う節目は
そう言うミルフィーユ状に積もった自分の悶々とした感情や考え事に
ある種の視点をくれる訳で
クリアに向き合えるような気がする。



と言う事で、今年最初のご案内です。
1月25日からはじまりますロッテルダム国際映画祭より映像作品が招待されることになりました。
作品は前回のバンクーバー同様『私の痕跡(Traces of Other)』です。
同じですが、作品のダイジェストはこちら↓
http://vimeo.com/13482868
上映日は1月27日と29日です。
現在はまだ確定ではないですが、
僕は27日の上映には行こうと思っています。
非常に遠いのですが。。
行かれる方ございましたら、是非是非ご覧下さいませ。
宜しくお願い致します。


こんな感情に慣れていかなくては行けないのかと
ある種の覚悟を決めつつも
何かにどんどん麻痺したり
距離がうまれていく事に気が付かなくなる自分を持ち得てしまう事が恐くもある。

色々と抗っていたいけれど
それはそれで非常に辛い事だし
不安定になる。
何か一つでも
小さくても良いから
光と言う眼差しがあれば
それで良いとも思うが
それすら単なるわがままなのも判っている。
僕は僕を何とか救うしかない。


さてさて、
どうしたものか。


すべては過去と言うポケットに飲み込まれてしまう。

ただ、今どんなに強い寂しさの中にあっても
些細な自分の変化と言う
過去からの贈り物を受け取る。




今日はチェルフィッチュの舞台を観に行った。
『三月の五日間』と言う演目。
非常に面白かった。
今読んでいる本が、
音楽と身体についてのもので
たまたま言語のコミュニケーションに於ける
身体の動きを説いた章だったから
公演としては100回を数えるほどのロングランだけど
タイムリーでもあった。


これから、数ヶ月、また怒濤の制作月間を向かえます。
頑張らねば。。。


安心し
解る度に
不安にもなる

僕の知らない時間の出来事は
依然として解らないままだ。

目の前にある、その時だけが自分にとっての構築可能な時間だが
目の前にある瞬間ほど、思い通りにならない事はない。

生きるって、難しいね。







ゴモラと言う映画を観た。
南部イタリアのマフィアであるカモーラを描いた作品。
兎に角人間の闇を突きつけられる。
人はどんどん、呆気なく撃たれる。

「やらねばならないから。」
たったこれだけの理由で少年もカモリスタになり
大人達の抗争の渦に巻き込まれて行く。
ただ、見終わると、これはイタリアを描きつつ
実は我々の国にも同様の事が言えると思いはじめる。
彼らはゴミ処理業を牛耳っており
(かつてナポリのゴミの問題はよくニュースでも目にした)
その他にも、貧しい少年達をリクルートしてビジネスを行う。
これは、出現の形こそ変わっているが
今日本においてもアナロジカルな暗部が露出していると言える。

映画の中で、仲間を撃たれた青年が
少年を使って、報復の方法を話し合うシーンがあった。
そこで登場した一人の気弱そうなカモリスタは
報復を提案した男にこう言う。
「誰がやったか解らないのに、どうやってするんだよ?」
そして、犯人が不確かなまま、報復は実行される。
この映画は、南部イタリアのマフィアの実態を鏡に
我々の世界の影そのものを映し
精神をぐさりと刺す。
あたりまえだけど
それは、被害者と加害者が自分の中に同居しているからだ。


東京に戻りました。

実は昨晩、山形から帰宅。
ず〜っと引きこもりで絵を描いていました。
髪も髭もぼーぼーでした。

そして今月は映像月間です。
これから構想をまとめて制作に入らねば。。
髪も髭も切りました。剃りました。




現在書肆サイコロにて開催されております、
ヒロイヨミ社「活版とことば」展 に
僕の散文や詩が活字となって、或は本となって展示されています。
何より、展示全体が、
活字としての確かでありつつも柔らかい存在感に満ちていて
とても面白かったです。


それと、フリーペーパーのpinkにて
ヘメンディンがー・綾さんとの往復書簡をもとにした記事が掲載されております。
今回の特集のマークボスビックをはじめ、豪華な企画で必見です!
ウェブでも見る事ができますが、是非手に取ってご覧頂きたいです。


 トーキョーワンダーサイトでの展示の最終日でした。

映像を灯台型のシステムで回転させながら展示すると言う
かなり冒険的な機構で発表しました。

不具合もあって、大変だったし、
それ以前にこのプラン自体が中々の難しい方法論だったけれど
僕の映像自体が持っている展示方法の方向性に
ようやく少しずつたどり着けるようなものだと
実感できるものだと思いました。
もちろんこれには沢山の方が助けてくれたお陰だし
何より一緒に会場を創った松本力さんには
多くの事を教えてもらったし、助けられました。
心から感謝します。
機会をくださったワンダーサイトにも感謝したいです。



そして昨日は古い仲間が随分会場に来ていたらしい。
本当に会いたかった。
どんな気持ちで、どんな時間をすごしたのか教えて欲しかったし
僕も話したかった。
ただ、残念ながら会えなくとも
僕にとって彼らを思う事は
相も変わらず刺激的だし
僕を緊張した世界へ瞬時に導いてくれる。
彼らへもお礼が言いたい。




また新たな制作に駆り立てられている。
これが僕が出来る最大の表明であり
返事になるよう
真っ白い紙に向き合います。


自分が過ごした時間を感じる
これはまるで記憶

そして自らのシステムにより
どんどん新たな皮膚へと更新されて行く

このままこの痣はもとの肌色へ戻り
いつかここに痣があった事なんて
忘れてしまうのだろう

僕もこの時間の事を忘れてしまうのだろうか


或は
システムがなすように
少しずつ懐に取り込んで行くのだろうか